残し伝えるという事

8月、かつてこの国に原爆が落とされ、戦争が集結した月でもある。
昨日、近くの公民館で開かれた会合で、ご近所に住まわれる戦争体験者の方々の体験談を記録した映像を観る機会があった。
生きた証言は、やはり身に迫るものがある。戦争が、どこかで起きた遠い過去の話ではなく、ほんのちょっと昔に実際に起きた事なのだ、ということが直に伝わってきて、こうした生きた証言を残し伝える事の重要さを思い知る。
折しも先日、音響協力という形で参加した展覧会「神殿都市計画 Holy City Planning」では、”地球上で起きた様々な事件の音”の表現するため、過去の記録映像などを調べる機会があった。その中で、例えばネット上で”零戦のエンジン音”を検索すると、その殆どはコンピューターゲームの戦闘シーンであることに驚いた。
CGで忠実に再現された零戦と米機との空中戦に熱狂する子供達を想像する。
彼らに、”本当の戦争を体験した人の声”は、どう届くのだろうか。記録を扱う表現の、責任の大きさを思い知らされた瞬間でもあった。